2024年1月3日水曜日

電気 ガス 水道

mask. stayhome. staysafe.

周りの人やインバウンドから、まだやってるの!?
と言われかねないけど無菌状態でいる間に自分ができることを考えるいい機会だった。

家にいてもラップトップさえあればなんでもできる。

10年ぶりにホストファミリーや友人とのfacetimeだってできた。
自分の英語力がキープされていることを確認できて、自信がついたくらいだ。

どこにいても、なんでもできる時代をうまく活用することについて学べた数ヶ月だった。
ただ、元旦の日に災害に見舞われるなんて思ってもみなかったけれど。

東日本大震災の時を思い出して、いま本当に怖い。
それでも、あの頃東京にいたときに経験したスーパーの陳列棚やskypeでしか連絡手段が取れなかった時間、余震のなか復興を思って友人や先輩たちと計画した温泉旅行を思い出したら、もう自分のできることからやる他、方法はないんだとわかる。

いろんな経験が今を作っていると理解して取り組むしかない。
大きな渦のなかにいる時間をどういうふうに使うか、何に集中するか、いかに今の自分の可能性を広げるか。
そういうことが、次のステップにつながると可能性を信じるしかないんじゃないかな。

(悟りを開いたような気持ち...)

一歩外にでることも怖かった12月。過敏になっていた12月。
周りで起きる全てのことが不思議すぎて、なんだかふわふわとした気持ちだったけど、
多分きっと大丈夫。

近くの神社に参って、今日もお正月の残りの食事をもぐもぐ食べよう。テレビを見よう。
冷凍庫になにが入っているかなと、探すのもすごく楽しみだ。
はーぁ、いつもお腹が減っているって幸せ。

2023年12月13日水曜日

クロワッサン シナモン モンブラン

 何年振りかにブログを再開してみる。

ここは、唯一のセーフスポット。ただいまあたし!おかえりわたし!お疲れ様今日のワタシ。

辞めなくてよかった。諦めなくてよかった。

持っていた夢は2つ叶った。これは何て言う?ゴールデンナゲッツ!というのかな。

ただ、その分希望がたくさん消えたからトントン。

暗い?そんなことない。明るい。もうすぐ日本は夜が明ける。

私が好きなのは日本のお笑い。中川家サイコー!

そんな気分です。

言葉がどんどん明確になってくる。視界が明るくなってくる。

生活だなぁ。人間だもの。みつを。

これからここに色々書いていくよ。ただいま。

2017年7月18日火曜日

北海道旅行記

1ヶ月前、私は夏風邪にかかった。
こんなにひどくなるのか、というくらい症状は多岐に渡り、
大げさに言うと、死を意識したり、元に戻らなくなったことを想像していた。

そして先週末から今日まで、北海道に家族旅行に行っていた。

家族旅行は3泊4日。長いようで短い。あっという間だ。
雨だと言われていた予報は、晴れや曇りに代わり、
閉園ギリギリで入れないと言われた動物園にも
懇願して入れてもらえた。

家族なんて、
と思っていた数ヶ月前。
関係はあまり(全然)良くなくて、イライラすることも多かった。
夏風邪にかかった為、自然と連絡をとる頻度も減った。

それから久々に会った家族との関係はとても良好で、
心が穏やかになり、不安定な心も自然とバランスが取れるようになった。
これもおおげさではなくて、ただ、安心した。

甘えるでもなく(ちょっと甘えた)、愚痴を吐くでもない、
良好な関係が旅行中は続いた。

友人とでしかわかりあえないことがあるように、
家族とでしかわかりあえないことがある。

そういうことを、今回の旅行で学べたのは、
今の私にはとても大切なことだったように思う。

楽しかった。
また明日からも愉しく生きよう。

2017年6月22日木曜日

インタビュー 写真 ファッション

先日、高木さんという人にインタビューをした。
内容は、伝えられるまで時間がかかるので、ここではあまりできないけれど、
カフェで高木さんの話を聞いてる途中、
いやになるくらい涙が止まらなくなった。

「ストップストップ、今泣かないほうがいいぞ。
空気悪くなるから、やめたほうがいい。」

と自分に言い続けるのだが、
あっけなく自分の気持ちとは裏腹に、
勝手に目から溢れ落ちていった。

高木さんは、淡々と話す。
しんどいことも、楽しいことも、
同じくらいのテンションで、話してくれる。
泣いてしまった理由は、
高木さんの目が、透明で、澄んでいて、
あまりにも、綺麗でなにより、優しいからだ。
この人の心は、とてもあったかいのだろうなと
話を聞いていて思った。

そんな優しさに触れると、
理由は全くわからないのに、
涙が止まらなくなるのだ。
そんな自分に浸っているわけではない。
自分の弱さを見せても、包んでもらえるような気がして、
ありがとう、ありがとうと言って、
その人の胸に飛び込みたくなる気持ちだ。
(私は生理なのか.... ?)


感情を揺さぶられて、どうにもできないくらいの話を、
私はどう文字におこして、人に伝えられるだろう。

フィルムスキャンをしながら考えている。
お粥はいつでも美味しい。




2017年5月28日日曜日

contax tvs の記憶

元気がなかった。
用事はあるのだけれど、元気がなかったのだ。
今年に入って、そんな気分の日なことがとても多い。
楽しいこともあるはずなのに、シューシューとしぼんでいきそうになる。

ふと、
注入しなければ。
と思った。

会って元気をもらえそうな人にとにかくヘルプの連絡をした。

その中でも、185センチくらいの長身のピエロみたいな顔をした
太田くんという後輩に連絡した。
彼は、1つ下の後輩でおちょくると返しが早く、面白くて、
人を甘やかせてメンヘラにする才能があるくらいに優しい。

顔はともかく、その性格で、
人からは好かれるだろうなとよく思う。

彼は、根本が良い奴なので、
「はいはい、都合の良い人探しね」と言ってくれ、
私が元気がないこともお構いなしに、
スパッともっといやな気持ちにさせてくれる。

ただ、図星なような気もしたので、
私は「うっ...」となり、「...そうだね。」
としか返せなかった。

とりあえず、ロケハンに付き合ってもらうべく、
下北沢に集合をかけた。

contax tvsを手に入れたので、ちゃんと機能するか
テストをしたかったのだ。
一人で景色を撮影するのも別にいいのだが、
やっぱり誰かを撮影するほうが、テストシュートとはいえ楽しめる。

待ち合わせをして、すぐにロケハンを始めた。
スタートしてからすぐにわかったことがあった。
それは、
私は彼のことを全くかっこよくは撮影できない。
ということだった。

フォトグラファーという肩書きを背負って、やっていこうと
ここ最近決意したばかりなのに、
彼のことを全くかっこよく撮れないのだ。
彼の元の顔もあるが、なんだか、落ちこんだ。

どうしたらいいのか。
迷った挙句、ちょっと走ってもらった。

彼は、ひょっとこのような顔をして
ひょろひょろと走りそうになっていたので、

「もっと本気で走ってよ」

とロケハンに付き合ってもらったのに
なんのお礼もなしに、おまけに本気で走れとの注文をした。
自分でも「何様なんだろ... 」とは思っているのだが、
彼は根本が優しいので、いっか。となって強制的にいろんなことを
注文してしまうのだ。

そのあとに、ほなみちゃんの家にいき、
みんなでバチェラージャパンという酷い番組を朝方まで見続けて、
あーだこーだ言いながら寝た。

その日は元気がなく、頭痛もしていたのに、
起きたら全部なくなっていた。

ちなみに、
太田くんに走ってもらったときの写真は
最近撮った写真の中で一番好きなものだった。








2017年4月22日土曜日

一番嬉しいこと (1)

滝本さんにお会いできた。
ずっとお会いしたかった人だ。
作品もそうだけど、
ずっと本人の写真をネットで見ていて、
どんな人なのか、ずっと知りたかった。

会ったときの笑顔はとても優しくて、
目は、とても綺麗だなぁと感じた。

緊張して、好きな食べ物なんですか、みたいなことしか
質問できないかとおもっていた。
インタビューで何度も話しているような事なのに、
自分の写真の世界に入ったときのことを、ちゃんと話をしてくれた。
本で読んでるつもりだったのに、いざ会ってみると
色々忘れてしまう。

よくある、フィルムの話も、デジタルの話も、
うまく話せないことにも、
自分が聞きたいことをぽっと話しをしてくれた。

「写っているものがなにかってことが大事だと思う」
(緊張しすぎて覚えてないけどこれは話してくれた)

映画のこともちょっと触れてくれて、
私は今日、胸がいっぱいだ。

2017年4月3日月曜日

夜に考えること  モノローグ #1

3ヶ月前、ある人に手紙を書いた。
ずっと前から送りたかった人だ。

九州は福岡に住むその人に私は会ったことがない。
おまけに言うと、福岡に行ったことすらない。
その人と私の間に、特に繋がりもなかった。

きっかけは手紙だった。
去年の夏頃、大きな缶を見つけた。
そこにはたくさんの手紙が入っていてその中に、
手紙は混ざっていた。
封筒の裏には、『寺山』と書いてあった。


祖父は産婦人科医だった。
患者さんの相談にもよく乗っていたそうだ。
中には、自分の子供を産む覚悟ができなかった人や、お金がない人もいたという。
その中で、子供を産むことを諦めようとした夫婦がいたらしい。
祖父は、「僕が責任を持ちますから産みましょう。絶対大丈夫だから。」とその夫婦を説得した。
夫婦は子供を産む選択をし、その後無事出産できた、という話をだいぶ前に母親から聞いた。
(ちなみにいうとその後、責任を持つと行った祖父は、引っ越しをし、
病院の担当医は他の先生に引き継ぎ、
その夫婦の子供が生まれるその瞬間立ち会ったのは別の先生だったらしい。
よくよく聞くと、その時のその言葉には責任感はないなと思ったが。)


手紙は、その夫婦の旦那様のほうからのものだった。
書いてあったのは、生まれた息子が元気に育ったこと。
勉強ができ、成績がよかったこと。
大学時代に留学をして、そこで出会った外国の女性と結婚をしたこと。
帰国後、大学の教授になったことなどだった
それから、説得してくれた祖父への、たくさんの感謝の気持ちが綴られていた。


いつか手紙を書きたいと思った。
その人と話したいと思ったからだった。

その半年後、その人に手紙を書いた。
理由は、生きているうちに出会える人には出会ったほうがいいと
言われたからだった。


「寺山です。」
ある日の昼の留守電にそう入っていた。
その日の夜にも、電話をくれていて、
着信が鳴り終わった瞬間気づいて、すぐに掛け直した。

「はい、寺山です。」
女性の声がした。私が名前を名乗ると、すぐに男の人の声がした。
「寺山です。こんばんは。手紙、びっくりしました。」
電話の主は、祖父に手紙を送った本人だった。
もう生きているかどうかさえわからなくて、
息子さんか誰かにでも届いてほしいと願った手紙だったから、
本人からだったときは、変だけれど泣きそうになった。

「こんにちは、初めまして。孫の薫です。」

寺山さんと私は30分くらい電話をした。
祖父が真面目で頭のいい医者だったこと。
寺山さんの奥様が体調がよくなかったため、出産をやめようかと悩んだという話が実際にあったということ。
知らないことを知るたびに、なんだか嬉しくなった。
不思議だが自分を通して、天国にいる祖父と寺山さんの再会を手伝えた感覚もあった。

「九州に来るときがあったら、遊びに来てください。」
「はい、会える日を楽しみにしています」
そう言い合い電話を切った。

この感情は言葉にし尽くせないけれど、
とにかく嬉しくて幸せな時間だった

一つ一つの行動が、こういう形になることを知れた。
この喜びの為なら私はなんでもできると思った。