3ヶ月前、ある人に手紙を書いた。
ずっと前から送りたかった人だ。
九州は福岡に住むその人に私は会ったことがない。
おまけに言うと、福岡に行ったことすらない。
その人と私の間に、特に繋がりもなかった。
きっかけは手紙だった。
去年の夏頃、大きな缶を見つけた。
そこにはたくさんの手紙が入っていてその中に、
手紙は混ざっていた。
封筒の裏には、『寺山』と書いてあった。
祖父は産婦人科医だった。
患者さんの相談にもよく乗っていたそうだ。
中には、自分の子供を産む覚悟ができなかった人や、お金がない人もいたという。
その中で、子供を産むことを諦めようとした夫婦がいたらしい。
祖父は、「僕が責任を持ちますから産みましょう。絶対大丈夫だから。」とその夫婦を説得した。
夫婦は子供を産む選択をし、その後無事出産できた、という話をだいぶ前に母親から聞いた。
(ちなみにいうとその後、責任を持つと行った祖父は、引っ越しをし、
病院の担当医は他の先生に引き継ぎ、
その夫婦の子供が生まれるその瞬間立ち会ったのは別の先生だったらしい。
よくよく聞くと、その時のその言葉には責任感はないなと思ったが。)
手紙は、その夫婦の旦那様のほうからのものだった。
書いてあったのは、生まれた息子が元気に育ったこと。
勉強ができ、成績がよかったこと。
大学時代に留学をして、そこで出会った外国の女性と結婚をしたこと。
帰国後、大学の教授になったことなどだった。
それから、説得してくれた祖父への、たくさんの感謝の気持ちが綴られていた。
いつか手紙を書きたいと思った。
その人と話したいと思ったからだった。
その半年後、その人に手紙を書いた。
理由は、生きているうちに出会える人には出会ったほうがいいと
言われたからだった。
「寺山です。」
ある日の昼の留守電にそう入っていた。
その日の夜にも、電話をくれていて、
着信が鳴り終わった瞬間気づいて、すぐに掛け直した。
「はい、寺山です。」
女性の声がした。私が名前を名乗ると、すぐに男の人の声がした。
「寺山です。こんばんは。手紙、びっくりしました。」
電話の主は、祖父に手紙を送った本人だった。
もう生きているかどうかさえわからなくて、
息子さんか誰かにでも届いてほしいと願った手紙だったから、
本人からだったときは、変だけれど泣きそうになった。
「こんにちは、初めまして。孫の薫です。」
寺山さんと私は30分くらい電話をした。
祖父が真面目で頭のいい医者だったこと。
寺山さんの奥様が体調がよくなかったため、出産をやめようかと悩んだという話が実際にあったということ。
知らないことを知るたびに、なんだか嬉しくなった。
不思議だが自分を通して、天国にいる祖父と寺山さんの再会を手伝えた感覚もあった。
「九州に来るときがあったら、遊びに来てください。」
「はい、会える日を楽しみにしています」
そう言い合い電話を切った。
この感情は言葉にし尽くせないけれど、
とにかく嬉しくて幸せな時間だった。
一つ一つの行動が、こういう形になることを知れた。
この喜びの為なら私はなんでもできると思った。
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