寂しいという感情を埋めるのは
自分ではなく、その隣りに居る人だったり
近くにいる人だったりするんだろう。
どうにもならないものを埋めて欲しい相手が
自分の中に来て欲しい人が
少し遠くにいたり、近くても決して交わらないとわかったとき
しんどい感情はどんどん沸き上がっていくんだろう。
でも、もし、自分が思っているより近い距離にいたり
そんなに遠くにいってなくてまだ自分に望みが残っていたときは、
なんでもできるくらい力が発揮されるんだろうな。
そういうので一喜一憂するのは
馬鹿らしいと思ってたけど
そういうことってものすごく自然で
今の私にはものすごくうらやましいことだったりする。
写真はなんでも良いようにとれるし、
解釈も自由だし、たまに想定外に良い証拠が残っていたりする。
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