2013年6月20日木曜日

今 状況 感じている


言葉というのは、作品において、限界はなくて
自分の好きなように好きな方向に
位置づけることができる要素の一つである。
当然、嘘をつくことも盛ることもできる。
ただ、写真単体ではそれはできないし、
必ず、写真のなかに作者の本当の意思や意図が見えてしまうだろう。

だから、慎重に丁寧に向き合って
曖昧な言葉がないようにしたい。


学生最後、卒業制作の作品を制作している最中に
偶然、一人の写真家の方に作品を見ていただいたことがある。
その時の私は、自分の作品を自分の言葉で最後まで
説明することが到底できなかった。
感情が先走ってしまって、うまく整理がつかなかったときだった。

「貴方にとって今日お見せ頂いた作品は、
これからの活動の根幹になっていくのだろうと思いました。
今夜、その作品が帯びた貴方にとっての意味が
年月を重ねて変化して熟していくのだろうと、
そういうこと想像していました。」

と後から丁寧にメールをもらった。
その意味も今、自分に読聞かせている。

彼からのメールは、予言のようで
いま、本当に、活動とはいえなくても、
あの作品が元になっているのは、わかる。

あれから、半年ほどが経過して
新しい作品形態を形作っている今、
前よりももっと考えなければならないことが増え
収拾がつかなくなり、本当に写真が発してることはなにか、
自分がシャッターを押した時、感じていた腑に落ちない何かは
いったいなんだったのか。
無理矢理にでも、言葉に当てはめて安心したい自分と、
考えなくても済むことならば、いっそのことスルーして
もっと別の形にかえたいと思っている自分がいて
正しいことと自分の欲求が混ざっていて
とても面倒な状態である。

もっと言葉がいるし、まだ見つけられていない表現のしかたが絶対どこかにある。



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