先週の土曜日、田中 泯の「献上」を見に母と豊田市美へ。
こんな贅沢な機会があるなんて信じられなかった。
身体から湧き出る表現に圧巻。
もしかしたら、自分は仮面を被っているのではないか。
自分というものは何をもって存在すると言えるのか。
存在している「私」という身体自体から抜け出して
何もないものになり、できることなら無になりたい。
こういうことを田中 泯さんは表現したかったのかな、と
その時のことを振り返って思う。
鍛えられた、美しい身体はとても68歳には見えなかった。
砂を身体にかけるという表現や泣き叫ぶ時、
フランシスベーコンだけが特別にそういう気持になっただけではなく
人間だれしもが、何時かのタイミングで、似たような感情になる、
そのことを、表現の中で魅せてくれたんだと感じた。
講演終了後、とても踊った本人だとは思えないくらいの柔らかな雰囲気で
私たちの前で少し話をしてくれた。
「このくらいの大きさが僕にとっては(踊りを見せる)限界なんです」
と言った、 泯さんには本当に欲なんてなくて、
だから余計、とても自分には敵わないような、大きい人に見えた。
こんな偉大な人が、日本に彼だけじゃなく、もっとたくさんいることを思うと、
国も、泯さんが育った環境も、他の環境も、
もっと、もっと、限界なんてなくてすごい可能性がたくさん
自分が気付いてないだけで、広がっているんじゃないかと
期待と、希望が膨らんだ。
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